新卒で入社してから3年間くらいしか、会社勤めをしていないので、あまり貯金はなく、何らかの生活の糧を得る手段が必要でした。
両親にもほとんど相談せず自己責任で会社を辞め、また学生でもないため、両親からの仕送りを無心したくありませんでした。
また、福岡の実家に戻って勉強するということも考えましたが、“故郷に錦を飾る”ではないですが、大学から東京に出てきて、何らかの成果も残せないまま実家に戻るのは少し敗北感がありました(完全に田舎者の発想ですね…)。
そんな思惑があり、東京で必要最低限のアルバイトをして一人暮らしを続け、公認会計士試験に合格しようと決心しました。
会社退職後、TACの公認会計士講座が始まるまでは宅配便等のアルバイトをしながら簿記の自主学習をし、TACの講座が始まるのと時を同じくして、中野の牛乳販売店で住み込みの牛乳配達をすることとしました。家賃が浮くからです。
住み込みといっても、牛乳販売店の近くにかなり古い木造アパートの一室(トイレ共同・風呂なし)を借りてくれていたので、実質的には一人暮らしのようなものでした。
お風呂は、銭湯の開いている時間はTACに行っているので、原付で10分くらい行ったところに24時間のコインシャワーが10分100円であったので、毎朝そこで済ましていました(10分ですべて洗い終える技術を磨いたので、いまでもお風呂は早いです)。
朝3時に起きて5時半位に牛乳配達を終え、シャワーを浴びた後、水道橋で7時45分から始まる早朝答練(簿記、原価計算等)を受け、その後、20時くらいまでTACで受講または自習するという生活を続けました。
しかし、そんな生活では、基礎編の講義までは何とかついていけたものの、応用編が始まると全くついていけませんでした。
というのも、早朝答練後、午前の講義くらいまでは何とか起きていられるのですが、昼食後、猛烈に襲ってくる睡魔に負け、結局午後は3時間前後、自習室で昼寝していまうからです。
そんな感じですので、午後以降の自習時間は3~4時間くらいしかなく、一方、同じコースの他の仲間は午後以降7~8時間くらい頑張っていたので、差が開く一方でした。
結局、1回目の受験は、翌年5月の短答式試験で当然のごとく不合格となり、論文式試験には進めませんでした。
同じコースの方で短答式試験に合格した方は、結構な数いらっしゃいましたし、その中から論文式試験を合格(いわゆる一発合格)した方も少数ながらいらっしゃいました。今振り返ると本当に情けない限りです。
それでも、当時の公認会計士試験は、1日10~12時間程度の勉強を着実に継続すれば、大体の方が3年以内に合格していたようですので、自分もあと2年くらい勉強すれば今のままでも合格できるのではないかと安易に考えていました。
その安易な気持ちが受験期間を長引かせる要因だったことは、後になって痛感させられました。